Shemohth 万葉日記

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ピエール瀧の逮捕から思うこと

少し前の話になるが、2019年3月12日、ピエール瀧が逮捕された。

 

個人的にピエール瀧という俳優はとても好きだったし、彼が出ている作品も、おもしろいと感じるものが多かった。

 

役者にも色々なタイプがあるが、彼は俗に言う「カメレオン俳優」とは真逆のタイプの俳優だと思っている。ようは、どんな役を演じても「ピエール瀧」なのである。

 

通常、役者というのは、与えられた役を演じ切って、役者本人を意識させないことが良いことのように言われる。ところが彼は、何を演じていても「ピエール瀧」を、見ている側がどこかで意識させられている。

 

ほとんどの場合、鑑賞して作品に入り込みたい側として、演じている本人は「邪魔」になる。鑑賞においては、余計な意識を持たされることは不快なのである。

 

しかし不思議なことに「ピエール瀧」の本人臭さは、あまり邪魔にならない。むしろ、ある種の期待感を抱かせる。

 

それはなぜかと考えると、彼には、役を飲み込んでしまう「広さ」「スペース」が自分のなかにあったんだろうと思う。

 

普通の人にはそんな「余裕」はない。自分のなかには「自分自身」がめいっぱいに詰まっている。自分以外のものが自分に入り込むことは、拒絶反応が起きるものである。なので通常は自分以外を演じる時に、不自然さが生じる。

 

ところがピエール瀧は、自分以外が入り込んできても、それを拒絶することなく受け入れることができる「スペース」があった。

 

総合的に考えて、人間の中に余計な「スペース」があることは、辛いことの方が多いだろう。

 

ピエール瀧は、自分の中にある空白の部分を利用して仕事をし、最終的に他人に利用されてしまったのだろうかと推測する。世の中にはそうした他人の「余白」を嗅ぎ分ける見分けることに長けた者たちがいる。彼らは他人の「余白」を利益に変えることで、金を稼ぐ。その過程で生み出される副産物は、余白をもつ本人の感情的な痛みだ。

 

それが良いことか悪いことが、一概に断じてしまうことはわたしにはできない。