Shemohth 万葉日記

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キャラ弁に見える人間心理

10年ぐらい前からだと思うが「キャラ弁」という文化が、定着している。

 

キャラ弁」とは、主に幼稚園ぐらいの子たちのお弁当を、なんらかのキャラクターに見えるように盛り付けして作ることである。

 

みんながそんなお弁当を持ってきているのに、自分だけがそうじゃないと子どもは辛い思いをするようで、世の中のお母さんたちは本やスマホを片手に、がんばって朝からキャラ弁つくりに励んでおられるようだ。

 

食べるものとは命そのものを表す。自力で食べものを取ってくることのできない幼い子どもにとって、それを与えてくれる親という存在は、当然ながら自分の命そのものを表す重要な存在となる。子どものは与えられる食べ物から、無意識的に親の愛を感じ測る。

 

一方、親は子どもに与えることで自分の存在価値を測り出す。自分がいないと生きていけない存在があるということは、自分は重要な存在なのだ、という図式が成立する。

 

こういった関係性の中に、他者が入り込むことは精神的な面でストレスとなる。

 

キャラ弁」には、他者との比較・競争という精神面がどうしても入り込む。子どもは親から愛を、となりの子どもの「キャラ弁」と比較するして、自分への親からの愛情を外部を基準に測りだす。そして親は子どもへの愛情をママ友たちと競う。

 

複雑な親子関係だ。

 

命を健全に育てるには「シンプルさ」が欠かせない。人は自己を見つめる時に、最終的に単純明快さを求める。

 

人は自分を評価する時に、他者を必要とはしない。他者を排除しなければ本当の自分は見えてこない。

 

キャラ弁」文化自体を排除すべきだとは思わないが、命を表す食べ物から親の愛を感じ取ることの大切を、子どもたちには持ってほしいものだと思う。